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お釈迦様(ブッタ)物語⑩入滅の旅です。

  
お釈迦様(ブッタ)物語⑩入滅の旅です。


野菜トピックが無い時は日ごろ思っていることを書きます。
投稿刻は午後5時です。
トピックがなくても書くことがあれば投稿することにしました。
その時の投稿時刻は午後9時です。


私の記事は私の勝手な思い込みが多く正確ではないのでそのつもりで読んでいただければありがたいです。
先日も匿名で記事内容についてお叱りをうけました、ご批判はありがたいのですが匿名ではなくムラゴンのIDかハンドル名で
お願いいたします。


お釈迦様(ブッタ)物語⑩入滅の旅です。


偉大な・哲学者・思想家・心理学者・宗教家?であったお釈迦様(ブッタ)の人生は興味深い物があります。
今回はお釈迦様(ブッタ)の入滅の旅について述べます。これも私の創作が入っています。


①お釈迦は80歳になり長い伝道により身心とも疲れ果て入滅も近いと感じ侍者のアーナンダに私の命はもう終わるので覚悟をしてくれと言いました。
 そして亡くなる場所は釈迦国の城カピラバッドととし伝道をしながらアーナンダと懐かしい釈迦国を目指しました、釈迦国は既に強国のコーサラ国に滅ぼされていましたが、少数の人々はそこで生き伸びて住んでいました。
 やはり人情として故郷で同じ釈迦族の中で死にたいと思ったのでしょう。


②入滅した場所は釈迦国ではなく近くのクシナーガルでした、2月の15日とされています、カピラバットには着いてはいないのですがお釈迦様は食中毒などで苦痛の極みでそろそろ入滅かなと侍者アーナンダに沙羅双樹の根元に
 敷物を敷くように頼み北枕に横たわり静かに涅槃に入りました。後世の仏伝ではその時に季節外れの沙羅の花がブッダに降り注いだとあります。


③竹林精舎や祇園精舎にいた弟子たちはブッダの入滅が近いと聞き急いで駆けつけました、近くの弟子や在家信者も多数集まり釈迦の死を悼みました。
 弟子たちは釈迦の体を7日間花で飾りその後火葬にして骨は関係者に配りました、日本の五重の塔などにも釈迦の骨はあります、本物かどうかは分かりません。
 こうしてブッダの長い人生は終わりました、最期の言葉は・人生は苦しいことも多いけど・楽しいことも多いと言ったそうです。決して苦しんでいたばかりではなかったのでしょう。




 今回でお釈迦様(ブッタ)様物語は終了です、私の創作部分もありますが読んで頂いた方には深く感謝いたします。
 後世の仏伝ではお釈迦様を神格化していますが、私はブッタは実在の人物で偉大な・思想家・哲学者・心理学者で人々に正しい行いをすることを進めた世界普遍的な思想家だと思います。
 後世に弟子たちは仏教教団を作りますがお釈迦様自身は仏教の開祖だとは思っていなかったでしょう、ローマカトリックの改革者のマルチンルター(プロテスタント)と同じでバラモン教の改革者だと思っていたと思います。
 その証拠に現在でもヒンズー教団はブッダを嫌わずヒンズー教の別派だとして尊敬しています。
 仏教はスリランカや東南アジアに伝わった上座部仏教と・チベット・モンゴル・中国・日本に伝わった大乗仏教がありますが、日本の多くの仏教は一神教に近くもともとのブッタの教えとはかけ離れています。
 日本にも上座部仏教が栄えて欲しいものです。