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お釈迦様(ブッタ)物語⑨伝道と・教化・説法

お釈迦様(ブッタ)物語⑨伝道と・教化・説法


野菜トピックが無い時は日ごろ思っていることを書きます。
投稿刻は午後5時です。
トピックがなくても書くことがあれば投稿することにしました。
その時の投稿時刻は午後9時です。


私の記事は私の勝手な思い込みが多く正確ではないのでそのつもりで読んでいただければありがたいです。
先日も匿名で記事内容についてお叱りをうけました、ご批判はありがたいのですが匿名ではなくムラゴンのIDかハンドル名で
お願いいたします。



お釈迦様(ブッタ)物語⑨・伝道・教化・説法



 偉大な・哲学者・思想家・心理学者・宗教家?であったお釈迦様(ブッタ)の人生は興味深い物があります。
 今回はお釈迦様(ブッタ)の成道(悟り)について述べます。これも私の創作が入っています。


①梵天(ブラフマン)の勧め(勧請)により弟子の教化と大衆への説法を決意した釈迦(ゴータマブッダ)先ず弟子を集めることにしました。


②出家して最初に弟子になった仙人で無意識界の7段目と8目到達していたアーラーラ・カーラーマ師とウッダカラーマブッタ師のところに行き教化するつもりでしたが2人はすでに亡くなっていました。


③そこで熟慮の末に以前の苦行仲間でブッダが堕落したと見放しペナレスの鹿野苑(ロクヤオン)に去った5人を弟子にすべく鹿野苑(ロクヤオン)に行き弟子にしました、最初は苦行を放置したブッダを馬鹿にして相手に
 しませんでしたがブッダのあまりにコウゴウしさに打たれて弟子になりました。この時の説法を初転法輪と言います(初めて説法を開始したという意味です)。


③金持ちヤサの出家、ヤサ金持ちの息子で放埓な生活をしていましたが、その生活に疑問の持つようになり鹿野苑(ロクヤオン)を散歩していた時にブッダに出会い教えを聞き直ちに仲間45人と弟子になりました、これで弟子の数は50人となりました。


④次に釈迦はブッタガヤの近くの象頭山の麓で弟子1000人を擁する拝火教(ゾロアスター教)の信者カッサバ3兄弟を弟子にしようと訪れました、マガタ国の王ビンビサーラ王もこれに帰依しています。
 釈迦は弟子にするべく少し手荒な手を使いました、強力な神通力を使い驚かさせ、その後説法でブッダの弟子にさせました、彼ら三人兄弟と1000人は拝火教を捨てブッダの弟子になりました、これで弟子は1050人になりました、これは大きい。


⑤6外道の一派(懐疑派:サンジャヤ)の弟子舎利弗と目連を弟子にする、
 次にブッダは王舎城に行き舎利弗と目連を弟子にしました、それを聞いたサンジャヤは血反吐を吐いて悔しがったそうです。
 後に舎利弗と目連は阿羅漢となり、舎利弗は知恵第一と言われ、目連は神通力一と言われました、後にこの二人は釈迦十大弟子と言われました、懐疑派の仲間200人もブッダの弟子になりこれで弟子は1250人の大集団になりました。


⑥・伝道・教化・説法
 1250人の弟子が全員一緒には伝道はできないので殆どの弟子は王舎城の竹林精舎とコーサラ国の祇園精舎で修行しました。
 お釈迦様は侍者のアーナンダど他の弟子数人と托鉢をしながら伝道の旅を45年間しました。




 次回はお釈迦様(ブッタ)の入滅の旅について書く予定です。