ゴンゴロ菜園のブログ

家庭菜園&花&蕎麦打ち

お釈迦様(ブッダ)物語⑦出家

お釈迦様(ブッダ)物語⑦出家


野菜トピックが無い時は日ごろ思っていることを書きます。
投稿刻は午後5時です。
トピックがなくても書くことがあれば投稿することにしました。
その時の投稿時刻は午後9時です。


私の記事は私の勝手な思い込みが多く正確ではないのでそのつもりで読んでいただければありがたいです。
先日も匿名で記事内容についてお叱りをうけました、ご批判はありがたいのですが匿名ではなくムラゴンのIDかハンドル名で
お願いいたします。



お釈迦様(ブッダ)物語⑦出家


 偉大な・哲学者・思想家・心理学者・宗教家?であったお釈迦様(ブッダ)の人生は興味深い物があります。
 今回はお釈迦様(ブッダ)の出家について述べます。これも私の創作が入っています。


①愛する妻子を置いて出家することはゴータマにとって後ろ髪を引かれる思いでしたが真実を求めることを止めることはできませんでした。
 ゴータマは神通力を使って・愛馬カンタカとそれの御者と城外に出ました、太子29歳の時です。
 太子と御者は馬に乗りマガタ国を目指しました、しばらくして馬を下り、豪華な装身具を取り。髪も切りそれを御者に持たせ妻に私が出家したと知らせてくれと頼みました。
 御者はそれをヤショーダラに届けて太子が出家したことを知らせました。妃は非常に悲しみました。
 太子は暫く歩いてマガタを目指しました、途中貧しそうな人がいたので、太子は自分の豪華な衣装と、貧しい人の汚れた衣装と交換を頼みました、貧しい人は大喜びです。
 太子はその薄汚れた衣をまとい出家者らしくなりました。
太子がマガタ国を目指したのはそこはインドで最も栄え文化も高く多くの思想家がいたからです。


②仙人との出会いと弟子入り①。
 マガタ国の王舎城の近くに至ったとき、山林の中で修行をしていたアーラーラ・カーラーマ師に出会い弟子になりました。
 アーラーラカーラーマ師は悟りの境地が無色界の7に到達した人物でした。
 太子は修行を始まるとたちどころに師匠の境地に達しましたが自分が求める最高の悟りは得られませんでした、そこでの修業はやめて次の仙人のところを目指しました。


③仙人との出会いと弟子入り②。
 次は同じく王舎城近くの山林の中で修行をしていたウッダカラーマブッタ師に出会い弟子になりました。
 ウッダカラーマブッタ師は悟りの境地が無色界の8に到達した人物でした。
 太子は修行を始まるとたちどころに師匠の境地に達しましたが自分が求める最高の悟りは得られませんでした。
 そこで今度は王舎城を目指しました、目的は城に住む6外道に会うためです。


 注:6外道とは
  ①道徳否定の富蘭那迦葉ふらんなかしょう(プーラナ=カッサバ)
  ②決定論の末伽梨拘舎梨まかりくしゃり(マッカリ=ゴーサーラ)
  ③懐疑論の刪闍耶毘羅胝子さんじゃやびらていし(サンジャヤ=ベーラッティプッタ)
  ④快楽主義的唯物論の阿耆多翅舎欽婆羅あぎたきしゃきんばら(アジタ=ケーサカンバラ)
  ⑤因果否定論の迦羅鳩駄迦旃延からくだかせんねん(パクダ=カッチャーヤナ)
  ⑥ジャイナ教開祖の尼乾陀若提子にけんだにゃだいし(ニガンタ=ナータプッタまたはマハービーラ)



④6外道に失望。
 城内で托鉢しながら6外道と対談しましたが、感銘することはありませんでした。



⑤ビンビサーラ国王の誘い。
 ビンビサーラ国王は宮殿の屋上からゴータマが城内を托鉢する姿をみてその気高い姿に感銘して城を出て近くの霊鷲山で瞑想しているゴータマのところに行き座り。
 あなたは高貴なクシャトリアに見えます、出家はやめて私とコーサラ国を攻めませんかと提案しました。コーサラ国はマガタ国と並ぶ強国でした。
 あなたには象軍500と私の財産の半分を差し上げます、挟み撃ちにしましょうと提案しました、コーサラ国を征服できたらインドを統一できると考えたのでしょう。
 しかしゴータマは王よ私は世俗の欲を捨て悟りを開くの目的にしています、要望には応じないと断りました。
  
 ビンビサーラ国王は流石に人物で了承しもし悟りをひらいたならまたここに来てそれを教えてくださいと頼みました。


 注①:ゴータマは悟りを開いた後王舎城を訪れました、ビンビサーラ国王はその教えを聞き直ちに弟子になりました。



 注②:ゴータマははここでは悟りを開けなかったので王舎城を去りブッタガヤに行き苦行に入ります。


 次回はお釈迦様(ブッタ)の成道(悟り)について書く予定です。