ゴンゴロ菜園のブログ

家庭菜園&花&蕎麦打ち

お釈迦様(ブッタ)物語④

お釈迦様(ブッタ)物語④


野菜トピックが無い時は日ごろ思っていることを書きます。
投稿刻は午後5時です。
トピックがなくても書くことがあれば投稿することにしました。
その時の投稿時刻は午後9時です。


私の記事は私の勝手な思い込みが多く正確ではないのでそのつもりで読んでいただければありがたいです。
先日も匿名で記事内容についてお叱りをうけました、ご批判はありがたいのですが匿名ではなくムラゴンのIDかハンドル名で
お願いいたします。



お釈迦様(ブッタ)物語④


 偉大な・哲学者・思想家・心理学者・宗教家?であったお釈迦様(ブッタ)の人生は興味深い物があります。
 今回はお釈迦様(ブッタ)の幼少期について述べます。これも私の創作が入っています。


①マーヤ夫人はシッタルダ太子を生んだ7日後に亡くなりました。
 そこで王様(スットーダナ)は後妻にマーヤ夫人の妹(マハージャーパティー)を迎えました、太子の養母になります。
 太子は6歳になるまで王の宮殿で養母に養育されました、優しい養母で大事にされました、後にこの養母は女性としては最初のブッタの弟子になります。


②学齢期
 6歳になると王様は太子のために夏用の宮殿・冬用の宮殿・雨期用の宮殿を建て太子をそこに住まわせました。
 宮殿には多くの侍女たちがいて王子の世話をしました、食事は白米と肉など贅沢なものでした衣服は立派なカーシー産で毎日取り換えました。
 王様は太子を跡継ぎなので大事にしました。
 太子は実母が早く亡くなったせいか物思いにふけることが多かったようです。
 6歳になると城内の学校に入り読み書きを数学を勉強したようです、当時のインドは貨幣経済になり実学が必至となりました。
 


③アシタ仙人の祝福
 お城では国王(スットーウダナ)が太子の誕生を喜んでいました。
 王の先生としてバラモンの聖者アシタ仙人がいてお祝いにきて王子を抱き上げ、人相を見ました、仙人は人相見の大家です。
 王様王子の人相は素晴らしく王を継げば伝説の聖王転輪王になるでしょう、これを聞いて王はおお喜びです。転輪王は武力ではなく人徳でインドを統一した伝説の王です。


注:ちなみに昔は日本の天理教は・転輪教といったそうです、天理教は仏教に縁がありそうです。


 しかし仙人は涙をぼろぼろこぼしました、王は不思議に思い悪い人相でもあるのかと尋ねました。
 王様そうではなく王子はやがて出家して修行を積み悟りを開きブッタとなり多くの悩める人々を救います。
 私は高齢で明日にも亡くなる運命なので尊い教えが聞けないのが悲しいのですと言いました。
 王子の名前をゴータマシッタルダと仙人が命名しました、優れた雌牛で目的を遂げるという良い名前です。
 その頃のインドでは雌牛が大事にされました。


④カピタ城について。
 城の規模横500メートル縦700メートルの長方形で城壁で囲まれ四方に門があります、なかには王の・宮殿・市民・農民などの住居がありました。
 夜間は市民は城の中に入り侵略者から身を守りました。城の中には四角い池があり蓮が植わっていました。


 次回はお釈迦様(ブッタ)の小青年期について書く予定です。