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お釈迦様(ブッタ)物語②

お釈迦様(ブッタ)物語②


野菜トピックが無い時は日ごろ思っていることを書きます。
投稿刻は午後5時です。
トピックがなくても書くことがあれば投稿することにしました。
その時の投稿時刻は午後9時です。


私の記事は私の勝手な思い込みが多く正確ではないのでそのつもりで読んでいただければありがたいです。
先日も匿名で記事内容についてお叱りをうけました、ご批判はありがたいのですが匿名ではなくムラゴンのIDかハンドル名で
お願いいたします。




■お釈迦様(ブッタ)物語②■


 偉大な・哲学者・思想家・心理学者・宗教家?であったお釈迦様(ブッタ)の人生は興味深い物があります。
 今回はお釈迦様(ブッタ)の先祖はどこから来たかを述べます。


①スラブ系アーリア人のインドへの侵入。
 紀元前1500年にイランあたりから侵入して先住民のドラビダ人を征服奴隷にした。


②お釈迦様(ブッタ)の先祖の侵入。
 同じスラブ系アーリア人ですが・黒海・カスピ海の周辺にいた騎馬遊牧民族のスキタイでした。
 インド北中部に国を作りガウタマを姓にした釈迦族です。始祖釈迦国です。
 王はカースト2位のクシャトリアを名乗りました。
 しかし優秀な王でバラモン教の聖典(ベーダ)は我々釈迦族が作ったといい、カースト1位のバラモンに聖典(ベーダ)教えていました。
 本来ならバラモンになるべきでしたが実力と経済力があるクシャトリアを選びました。


③釈迦国の分国
 お釈迦様の国は始祖釈迦国から紀元前1000年ころに分国しヒマヤラの麓にヒャーキア国を作りました。
 国の大きさは日本の千葉県くらいの小国です、首都はカピタ城で王は有力者500人で推薦する共和制でした。
 勇猛な民族でしたが、小国なので近くの強国コーサラ国に臣従していました。


④カピタ城について。
 城の規模横500メートル縦700メートルの長方形で城壁で囲まれ四方に門があります、なかには王の・宮殿・市民・農民などの住居がありました。
 夜間は市民は城の中に入り侵略者から身を守りました。城の中には四角い池があり蓮が植わっていました。


 次回はお釈迦様(ブッタ)の誕生についてを書く予定です。