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お釈迦様(ブッタ)物語⑧成道(悟り)

お釈迦様(ブッタ)物語⑧成道(悟り)


野菜トピックが無い時は日ごろ思っていることを書きます。
投稿刻は午後5時です。
トピックがなくても書くことがあれば投稿することにしました。
その時の投稿時刻は午後9時です。


私の記事は私の勝手な思い込みが多く正確ではないのでそのつもりで読んでいただければありがたいです。
先日も匿名で記事内容についてお叱りをうけました、ご批判はありがたいのですが匿名ではなくムラゴンのIDかハンドル名で
お願いいたします。



お釈迦様(ブッタ)物語⑧成道(悟り)


 偉大な・哲学者・思想家・心理学者・宗教家?であったお釈迦様(ブッタ)の人生は興味深い物があります。
 今回はお釈迦様(ブッタ)の成道(悟り)について述べます。これも私の創作が入っています。


①仙人で無意識界の7段目と8目到達していたアーラーラ・カーラーマ師とウッダカラーマブッタ師のところで修行しても求めていた最高の悟りを得られなかったゴータマは
 バラモンの苦行をすることにしました。


注①:苦行はさとりや願望を達成するために苦しい修行をすること。一般に?tapas?tapoの訳語。

インドでは古来、バラモン教を中心として、身体を極度に苦しめることにより精神の高揚をはかろうとする営みが存在したが、
  それが、元来「熱」を意味するタパスという言葉と結びつき、「創造的な熱」すなわち、超能力や浄罪などの力を与えるものと考えられるようになった。他方、浄罪の力は現実的な罪から、
  輪廻・業に代表される宗教的罪を清める働きへと転化し、不殺生・慈悲などの倫理的意味を担った苦行として、主に反バラモンの沙門集団へと受け継がれていった。
  その代表がニガンタ派という沙門集団を発展させたジャイナ教で、厳しい不殺生戒を実践しながら、苦行によって業を「振り払い」、輪廻から解脱することを主張した。
  釈尊もその修行時代に六年間の身をさいなむ過酷な苦行を実践したことが多くの仏伝文献に記載されている。しかし、釈尊はその過酷な苦行がさとりに至る道ではないと考え放棄した。
  但し、釈尊が放棄した苦行は、さとりに至る道としての過酷な苦行であり、禁欲・忍耐を主にする行は仏教のなかで存続していった。


【参考】原実『古典インドの苦行』(春秋社、一九七九)、本庄良文「南伝ニカーヤの思想」(岩波講座『東洋思想九・インド仏教二』岩波書店、一九八八)


【執筆者:榎本正明】




 より高く深い宗教的境地に達するため、あるいは罪の悔恨かいこんなどを目的として意識的になされる苦痛を伴う精神的・身体的な修行のこと。
 具体的には断食や水行、坐禅、鞭打ちなどがあげられる。仏陀自身は断食などの苦行を六年間にわたって行ったとされるが、後にそれを退けている。
 しかしながら、仏教において苦行の意味が薄れることはなく、仏陀の境地を自らのうちに体得するための手段として苦行は重要視されている。


②苦行をするためにゴータマはマガタ国の近くのブッタガヤに行き修行仲間5人と托鉢しながら苦行をしました。
 その苦行は凄まじく誰にもまねができない物でした。
 目は落ちくぼみ肋骨が浮き出て血管がのたうち腹は落ちくぼみ死の寸前になりました。
 そこで菩提樹の下に横たわって死を待つばかりでしたそれを見たスジャータトいう女性が哀れみ乳粥を布施しました、ゴータマはそれを何日も食べ次第に体力を回復しました。
 ガンジス河で体も洗いました。苦行仲間はゴータマは堕落したとペナレス近くの鹿野苑に去りました。托鉢以外に布施を受けるのは苦行を放棄したとみなされるのです。


③成道(悟り)。
 苦行では悟りを得られないと思ったゴータマは瞑想の世界に入りました、この世の快楽と・4苦8苦はどうしてあるのだろうとそれに集中しました(中道ですね)瞑想とはやや違います。
 瞑想とは何も考えないことです、日本の曹洞宗の座禅は完全?に瞑想ですが臨在宗では公案を考えながら座禅をするのでゴータマに近いですね・・・臨済宗の公案を考えながら座禅をする
 方法は臨済宗中興の祖と言われる白隠が考えた方法です。


④何を悟ったか。
 瞑想を始めてゴータマは悟りを開いたそうです、何を悟ったかというと今となっては我々には分かりません。
 おそらく宇宙と一体感になり理屈ではなく感覚的に・ニュートン力学・相対性原理・量子力学・不確定原理を理解したのではないでしょうか。
 それ以上の宇宙の真理を理解したのかもしれません。
 諸行無常も悟りの一つでしょう、物事は一つとして同じ状態にはいないで変化するということです。物質はかなら分解して最後には原子になりそれも分解します。これで死は免れないことが分かります。
 ただ最近の量子力学では人間の記憶は量子に記録されているという仮説があります。
 悟りを開いた時は図り知れない喜びを感じるそうです。何度も瞑想を繰り返し悟りの喜びを楽しんだそうです。
 悟りの経験のない私ですがおそらくゴータマの悟りは空だと思います、死んでしまえば苦も楽も感じなくなります、それが涅槃だと思います。



⑤悪魔の誘惑、苦行中のゴータマに悪魔がきて悟りを妨害するためにいろいろなことをします。
       ①やせ衰えたゴータマにこのままでは死ぬから苦行を止めろ、普通の生活をしろと言います。
       ②石や火を投げつけます。
       ③美女に誘惑させます。
       ゴータマはこれらの妨害に負けず悟りをひらきました。このことは古い仏典に書いてありますがゴータマを讃えるための後付けだと思います。


⑥梵天の勧請:ゴータマが悟りの喜びをい楽しんでいるところにバラモンの創造神のブラフマン(日本名:梵天)が来て尊者よあなたの悟りで苦しむ人々を救ってくださいと頼みました。
       しかしゴータマは私の悟りはあまりにも深遠で人々は理解できないでしょうと断りました。
       断られても梵天は何度も要請しました、ゴータマは要請をようやく受け伝道を決意しました、おそらくゴータマは最初から伝道する気でいたと思います。
       これもバラモンの最高神がお願いするという形にしてブッダがいかに優れているか讃えるためのゴータマの弟子たちの後付けだと思われます。


 


 


 次回はお釈迦様(ブッタ)の伝道について書く予定です。